新型コロナウイルスと人権
「人権」というとあまり身近に感じない言葉かもしれませんが、安心して自信をもって自由に生きる権利と言い換えるとどうでしょうか。何となくイメージがわいてくるのではないかと思います。
今回は、タイトルにあるように、新型コロナウイルスと人権との関係について考えてみたいと思います。
新型コロナウイルスの特徴は何といっても、無症状でも感染力があると言われていることです。
普通の風邪は咳とか熱などの症状があり風邪をひいたかなと感じると思います。通常は自覚症状が出た後に感染力が出ると言われているようでして、自覚症状があれば外出を控えるなどするでしょうから他人にうつしてしまう機会を減らすことが意識的にできます。
ところが、新型コロナウイルスは自覚症状がない状態でも感染させてしまうことから、その状態では新型コロナウイルスにかかっているのかどうか自分では分からず、他の人に感染させる機会を減らすことが難しい場合があるわけです。
つまり、もしかすると症状がないだけで家族や職場の人も新型コロナウイルスを保有しているかもしれない、自身も既に新型コロナウイルスを保有しているかもしれないということです。
最近の報道で、マスクをしていなかったら罵倒された、県外ナンバーの車に乗っていたら罵倒された、などを耳にしました。
もし家族が感覚過敏などのためマスクを付けられない身体だったらどうでしょうか。転勤したため県外ナンバーに乗っていたり、県外に住む家族名義の車だったりしたらどうでしょうか。
特に考えなければならないことは、新型コロナウイルスにかかった人を特定してインターネット上で情報が拡散することが許されてしまう社会だったらどうなるかということです。
そのようなことが許されてしまう社会だったら、自分が新型コロナウイルスの陽性反応が出たとき、自ら名乗り出ることができるでしょうか。
もし名乗り出るのを躊躇した場合、新型コロナウイルスがより広く拡散してしまう可能性が高くなり、いつか自分も新型コロナウイルスにかかる可能性が高くなるということです。そしてそのときに、インターネット上で自分の情報が拡散されてしまうということにもつながってきます。
職場での対応も同じことがいえます。
新型コロナウイルスにかかってしまったとしても、きちんと治療した後であれば元の職場に戻れる社会にしなければ、重症化して病院に搬送されるまで陽性者であるということを隠してしまうということになりかねません。
また、親が医療従事者であるため幼稚園や保育園に来ないでほしいというようなことを言われた、という報道も目にしました。
このような対応が許されてしまうなら、医療従事者の方がその職場で働くことをやめてしまうかもしれません。自分の大切な人が新型コロナウイルスにかかってしまったときに、医療従事者の数が足りなかったらどうでしょうか。医療従事者の方々もリスクと隣り合わせで患者のため、ひいては社会全体のために対応してくれているということを忘れてはなりません。
新型コロナウイルスにかかってしまった人を誹謗中傷したところで事態は改善しないどころか、かえって住みにくい社会にしてしまいます。
医療従事者の家族に近づかないというような態度は、医療従事者の減少やモチベーションの低下を招き、かえって自分や大切な人を危険にさせてしまうことになりかねません。
感染しないように予防するのは、自分や大切な人を守るためであり、ひいては社会の中で安心して生活できるようにするためです。
この一番大切な目的を忘れずに、With コロナ 新生活様式を考えていかなければならないのではと思います。
新型コロナウイルスは誰でもかかってしまうリスクがあるものです。
もし自分がかかってしまったときに、どのような社会であってほしいと思うでしょうか。
感染しないように予防することは前提として、まだまだ収束の見込みが立っていないとすれば、今後重要になるのは、感染してしまったとしても、安心して生活できるような社会を作り上げていくということではないかと思います。